京都女子大学附属小学校
建学の精神
本学園は「親鸞聖人の体せられた仏教精神にもとづく人間教育」を建学の精神としています。この建学の精神に基づく本学園の教育理念は、この精神に基づいて知性と情操を高め、人間としての自覚を深めるとともに、すべてのいのちを平等に愛する豊かな心を培うことによって、真の人間を育成することにあります。
「仏教」は、悟りを得た人の教えであり、また悟りを得た人になる教えということであるから、悟りすなわち深く真実に目覚める自覚をその本質としています。この自覚に立つとき、すべてのいのちあるものを等しく尊び、敬い、愛する心が生まれ、そこにこそ真の人間の道があることを教えています。それは、われわれ人間が自己に執らわれ、自己中心の欲望に溺れている愚かさ、浅ましさを知って、その歪みを克服する道です。
「親鸞聖人の体せられた仏教精神」とは、まさにこの仏教の道に立脚することであって、聖人はこれを明らかにするとともに、みずからの愚かさを深く自覚、懺悔しつつ、この愚かな身のまま、その精神を体得していくことができる道を示されました。
もちろん、人間のあらゆる努力は人生を歩む上で大切であることは当然であり、教育の場でも知識を積み工夫を凝らし、不屈の精神で実行することが求められます。
しかし、自己の努力がすべてであるとして自己のみを頼りとし、自己のなすことを善しとする自力作善の心であってはなりません。自己の力のみを頼りとし、自己に執らわれていては、いかなる努力も歪みが生ずるのであって、逆に自己に執らわれることの愚かさを知ることがこの歪みを正す道です。
この愚かさの自覚とは、宗教的な深い自覚であります。このような自己内省があってこそ、思い上がりの心が退けられます。
みずからの努力をも包み込んでわれわれを生かし、そうあらしめている限りない働きに気づかされます。
無限の力に支えられ生かされているという「いのち」そのものの不思議さを知るとき、自他の対立を超え、ともに生き、ともに育てられているという、あらゆるいのちあるものの平等を自覚するのであります。これが人間教育の原点であり、本学の教育理念の基本です。