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「探究名人」をめざそう ―― データには量的なものと質的なものがあります

24.11.05

『附小だより』11月号の「巻頭言」に10月21日の全校朝礼で話した「『探究名人』をめざそう ―― データには量的なものと質的なものがあります」を掲載しました。ここにその一部を再録しておきます。 

 

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皆さん、おはようございます。 

先月9月30日の全校朝礼で「サザエさんとのじゃんけん」についてお話しし、その中でサザエさんとのじゃんけんの結果を30年以上にわたって記録し続けている研究会があることを紹介しました。毎週毎週、コツコツとデータを取り続けることは、本当に大変な作業ですし、誰もができることではありません。それだけに高く評価される取り組みとなっています。二度、三度にわたって「サザエさんとのじゃんけん」についてお話ししたのは、それをきっかけにデータには量的なものと質的なものがあるということを知ってもらいたいと思ったからです。 

 

量的なデータとは、数値として意味があるデータのことで、そのまま足したり引いたりすることができるものです。じゃんけん研究会の記録は、放送日ごとにサザエさんがグー・チョキ・パーのどれを出したのかを整理したもので、まさに量的データといえるものです。「統計」と言い換えると分かりやすいでしょう。 

 

皆さんも毎日の気温や天気の変化、アサガオやミニトマトの成長などを観察したことがありますね。また地域や社会の集団の特徴を知るため、家の数や住んでいる人の数、職業を調べたりしましたね。このように観察したり、数えたものを整理し、数字で表したものが「統計」となります。ここで重要なことは「統計」というものは「数字で表したもの」ということで、数字で表せないものごとは「統計」にはならないということです。 

 

例えば「学校基本調査」という「統計」によれば、2024年5月1日現在、日本国内には1万8824校の小学校があり、その児童数は594万1729人とされています*。そのうち私立小学校は249校で、児童数は7万9990人。京都府に限った場合、私立小学校の数はわずかに11校で、児童数は4267人です。1年生は699人と記録されています。京都女子大学附属小学校の皆さんもその中に数えられています。 

 

これに対してデータの中には、数字で表すことのできないものがあります。質的データと呼ばれているものがそれです。質的データとは、おおまかにいえば言葉や行動のような数値化しにくいデータのことで、手紙や日記など個人的に書かれた文書の内容やインタビューにおける語りなどが含まれます。そのままでは足したり引いたりといった演算のできないデータです。 

 

突然ですが「これまで生きてきた皆さん自身の歴史を書いてきなさい」という宿題が出たら、どうしますか。皆さんを生んでくれた親御さんの出会いから書き始めますか。そう決めて書き出しては見たものの、「うちの母はいつ、どこで父と出会ったんだっけ」という疑問も生じますね。あいまいなことばかりだと文章が進まなくなるかもしれません。 

 

自分の歴史を書くためには情報(データ)が必要です。では、どんなデータを集めますか? 何時、どこで、誰が、何をしたのかという基本情報を得たいのであれば、少なくとも日付の書かれている記録が必要となります。 

 

公的なものであれば戸籍謄本、これならば皆さんの家族構成や住んでいたところもわかります。母子手帳があれば、いつ、どこで、何グラムで産まれたのかというデータも手に入ります。遠足の作文や夏休みの絵日記、写真やビデオそれに通信簿やテスト、これらにも日付があります。コンテストで頑張ったならば大会の賞状やトロフィーにも日付が刻まれています。これらが自分の歴史を語るための質的なデータ(史料)となります。 

 

たくさんのデータ(史料)が集まりました。それらを日付順に並べてみましょう。自分自身の年表になるはずです。ながめているうちにふと、迷いが生じてくるかもしれません。「点数の悪いテストや通信簿も並べてみたけど、他の人に見られたくないな…」「兄弟ケンカして泣いているときの写真が出てきた、これを載せたらイメージ悪くなるな…」という疑問や迷いです。 

 

皆さんの中にもインスタグラムやSNSでブログを書いているひともいるかもしれません。どの写真を載せようかとしてあれこれ取捨選択したことはありませんか。プリ機で撮影したとき、なんか違うなあと思って、何度も撮り直したということはありませんか。 

こうした迷いや取捨選択が出てくるのは、自分のことを表現するにあたり、予めイメージができていて、そのイメージにそぐわない不都合な事実については封印し、イメージにふさわしい記録や写真だけ使うことにしようという意識が働いているからです。 

 

このように質的なデータとされるものには、そのデータを作成したひとやデータを残そうとしたひとの主観や偏見が含まれていることがあります。そこに質的データの面白さがあるのですが、それだけにデータを読み解くためにも批判的な考え方を持っておくことが必要となってきます。 

 

今回は「データには量的なものと質的なものがあります」と題してお話をしました。いずれのデータを用いるにしても探究の目的をきちんと定め、様々な視点で事象を捉えていくこと――ここに探究を進める上でのポイントがあります。 

こうしたポイントをふまえ、これからも学ぶ力を育み、「探究名人」をめざしていきましょう。 

 

これで校長先生のお話を終わります。 

 

   〔典拠〕*統計でみる日本 「学校基本調査」令和6年度(速報) 初等中等教育機関、専修学校・各種学校 学校調査・学校通信教育調査 小学校 

 

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ではまた                                                      坂口満宏 

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