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皆さん、おはようございます。
今日は、前回のお雑煮マトリックスに続く第2弾、「校長先生からのミッション 2 この門の名前を探し当てようクイズ」というお話です。
先日、東山総合支援学校の教頭先生が本校に来られました。その要件は、東山総合支援学校の西側の土塀とブロック塀の改修工事をするため、東大路通東側の歩道のうち、馬町の交差点より南が一部通行止めとなります。ご不便をおかけしますので、児童の皆さんによろしくお伝えください、ということでした。
すでに工事は始まっており、近いうちに歩道に足場が組まれるとのことです。
ここを通学路としている皆さんは、工事現場の誘導に従い、安全な道を通って、通学するようにしましょう。
さて、今回の土塀工事の現場が馬町の交差点の東南側ということですので、皆さんに面白い写真をお見せします。
写真1は、今から113年前ほど前の1912年頃に、馬町の交差点に立ったカメラマンが、北を背にして南側を撮影したものです。立派な門があったことがわかります。
それから1年後の様子を撮影したのが写真2です。門はありません。水たまりのあった道路は敷石で舗装され、市電の軌道が敷設されていることがわかります。
1910年頃の京都市では、京都を工業都市へと発展させるためには道路を拡築し、そこに市電を走らせることが喫緊の課題であるとして、軌道の敷設工事が始まりました。1912年6月には市電の第一陣として烏丸線(烏丸丸太町~七条駅前)、四条線(四条西洞院~四条小橋)、千本大宮線(千本丸太町~壬生車庫前)と丸太町線の一部(丸太町千本~丸太町烏丸)が開業し、運行が始まりました。同年11月に今出川線の一部(今出川千本~今出川烏丸)と12月には東山線の一部(東山三条~馬町)が開通しました。そして1913年4月に東山線の馬町〜妙法院前が完成し、8月に七条線(七条内浜-七条烏丸)と結合しましたので、ここに京都市内の主要道路の拡築と市電の路線網が完成しました。
写真1と写真2は、まさに市電の馬町〜妙法院前を結ぶ東山線の道路拡築事業のビフォー・アフターを記録したものでした。
それにしても写真1に写っていた門は、いったい何という名前の門なのでしょうか。
江戸時代(天保2年・1831年)の絵図(『京都絵図細見大成』)を調べたところ、それらしき門が描かれていましたが、この地図だけでは名前はわかりませんでした。
これまでにわかったことから馬町の交差点にあった門の変遷を示しておきます。
ぜひとも皆さん、校長先生からのミッション2「この門の名前を探し当てようクイズ」に挑戦してみてください。(問題)は以下の通りです。難易度は☆3つですので、ヒントを出しておきます。
(問題) 115年ほど前、馬町の交差点には(写真1)のような門があり、「大仏○門」また
は「大仏大○門」と呼ばれていました。 ○の中には同じ漢字一文字が入ります。
○に当てはまる漢字は何でしょう。
お友だちや家族と一緒に調べてみましょう。
問題と答案用紙はロイロノートの「校長先生からのミッション」フォルダの中に入っています。
答案用紙には ①答案 と ②「どのようにして探し当てたのか、100字程度で教えてください」の二つを書いてください。
締め切りは2月21日(金)15時です。
積極的なチャレンジ、期待しています。
これで校長先生のお話を終わります。
〔参考文献〕 京都市編『京都市三大事業誌 道路拡築編図譜』(京都市、1913年)
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ではまた
坂口満宏