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附小の校歌で考える東山の地形と地質(学校長のブログ)

25.03.03

『附小だより』3月号の「巻頭言」に「附小の校歌で考える東山の地形と地質」と題した文章を掲載しました。その一部を紹介します。
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2024(令和6)年度最後の『附小だより』です。3月17日(月)には卒業式、19日(水)には修了式が挙行されます。こうした学校行事で必ず歌われるのが校歌です。附属小学校の校歌は1962年12月に制定されました。これをみて「ええっ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。そうです、本校は1957年に設立されましたが、5年余りにわたり本校に校歌はありませんでした。
1962年4月、1957年に入学した第1回の新入生42名が最終学年の6年生となりました。しかしまだ「校歌」は作られていません。卒業式を3カ月後に控えた1962年12月になって、ようやく「加茂の流れの うるわしく」で始まる校歌が制定されました。作詞は国文学者の濱千代清京都女子大学教授、作曲は数々の仏教讃歌を手掛けた伊藤完夫教授でした(『京都女子学園百年史』678ページ)。

 

私が本校の校歌を初めて聞いたのは、昨年3月の卒業式でした。歌を聴きながら脳裏に浮かんだのが、冒頭に掲げた「七条大橋~阿弥陀ヶ峰間の断面図」でした。

 

  加茂の流れの  うるわしく  東の山の  なごやかに
  つどうわれらの 学びやは 光ゆたかに かがやけり

 

附小の校歌には具体的な地名や山の名前は出てきません。しかしこの情景は鴨川にかかる七条大橋を西から東に渡るところから始まります。「加茂の流れ」をながめ、つぎに視線を東に移すと標高196メートルの阿弥陀ヶ峰が正面に見えます。山までの水平距離は1650メートル、光ゆたかにかがやく「学びや」まではおよそ1000メートルです。

 

鴨川の堤防を下ると、京阪七条のバス停からおよそ300メール先の大仏前交番(大和大路)までは、標高30メートルほどの低地が続きます。そこは鴨川の氾濫原(氾濫区域)で、京都市のハザードマップによれば、鴨川・高野川が氾濫した場合、バス停付近の浸水の深さは2.5メートルに達するとされている区域です。今も昔も、私たちは軟弱な地層である沖積層の上を歩いていることになります。

 

大仏前交番を過ぎると東山七条の交差点まで、緩やかな傾斜となります。東山から流れ出た土砂が堆積してできた扇状地です。地盤が比較的安定していることから、三十三間堂や京都国立博物館など大きな建物が建てられています。
京阪七条のバス停から東山七条の交差点までの距離はおよそ580メートル、標高差は17メートルですので、その平均斜度は1.7度、平均勾配は2.9パーセントとなります。

 

東山七条の交差点まで来ると景色が変わります。七条通りは厳然として構える智積院の総門によって遮られます。この門は桃山断層によってできた高さ2メートルほどの崖の上に建てられています。妙法院の唐門もほぼ同じ高さです。
智積院と妙法院との間から阿弥陀ヶ峰の山頂へと続く道は、1898年に豊臣秀吉の没後300年を記念して再建・整備された豊国廟への参道です。かつてこの参道の入り口にも10段の石段がありました。その後、山科方面から京都市内へ抜けてくる車が多くなったことから、1965年にこの石段は取り除かれ、傾斜の緩い車道になりました。幅3メートルの石段は道の両端に移設され、現在の歩道となっています。

 

この道を300メートルほど登った平坦なところに京都高等女学校が移転してきたのが1914年、この女学校が京都女子高等学校となったのが1948年でした。そしてその翌年に京都女子大学ができました。多くの女子学生の通学路となっていたことから、いつの頃からかこの道は「女坂」と呼ばれるようになりました。
地質学的にみるとこの坂道は、大阪層群とよばれる洪積層で、数十万年前から続いている活断層の動きによって隆起した丘陵の斜面です。過去にいく度も隆起がおこったことから、平坦な場所と崖状の場所とが連なり、段丘を形成しています。

 

附属小学校が設立された当時、その「学びや」は現在の大学のB校舎前にありました。その標高は76メートルでした。東山七条の交差点から女子大学前のバス停までの水平距離はおよそ420メートルで、標高差は28メートルですので、その平均斜度は3.8度、平均勾配は6.7パーセントとなります。

 

  み教えあおぎ  のぼる坂 父母思い   かえる坂
  はげむわれらの 学びやは 心ゆたかに かがやけり

 

むかしも今も「女坂」を通学路としている児童は、平均斜度3.8度の坂道を「み教えあおぎ」、父や母を思いながら登り下りしていることになります。合掌。

 

なお、現在の「学びや」の標高は62メートルです。京都女子学園の他の建物より15メートルほど低いところにあります。なぜその土地は低いのか。このことについては、馬町のバス停から渋谷通を経由して通学してくる子どもたちの視線に入る景色とからめて、別の機会に紹介したいと思います。

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ではまた
坂口満宏

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